篁墩文集 (四庫全書本)
篁墩文集 |
欽定四庫全書 集部六
篁墩文集 別集類五〈明〉
提要
〈臣〉等謹案篁墩文集九十三巻明程敏政撰敏政字克勤休寧人年十餘歳以神童召對試瑞雪詩及經義各一篇詔讀書翰林院官給廩饌成化丙戌以一甲二名進士授翰林院編修官至禮部右侍郎𢎞治十二年主㑹試為給事中華㫤劾罷卒贈禮部尚書事蹟具明史文苑傳所輯明文衡新安文獻志諸書已別著録敏政學問淹通著作具有根柢非游談無根者可比特其才高負氣俯視一切故議論或不免偏駁如奏考正祀典𣣔黜鄭康成祀於其鄉論五行欲以竈易行之類於義皆為未允又新安黃墩為晉新安太守黃積所居子孫世宅於此故以黃為名自羅願新cq=598安志朱子文集所載皆同敏政乃稱黃本篁字因黃巢而改遂復稱篁墩為之作記且以自號其說杜撰無稽亦蹈大言欺世之習其他徵引故事徃徃恃其賅貫不加詳核因而舛誤者尚多集中詩至數千篇亦率易居多頗乏警策然眀之中葉士大夫侈談性命其病日流於空疎敏政獨以博學雄才高視濶步其考證精當者亦多有可取要為一時之冠冕未可盡以繁蕪廢也敏政別有篁墩文粹二十五巻為其族子曽所編類已多所刪削此則其自訂之全集雲乾隆四十四年二月恭校上
總纂官〈臣〉紀昀〈臣〉陸錫熊〈臣〉孫士毅
總 校 官 〈臣〉陸 費 墀
篁墩文集原序
文之見於世者惟經與史經主道史主事載道之文易書詩春秋禮樂備矣書與春秋雖亦紀事而道固存焉及其漸晦則孟子擴之又晦則韓子發之久而愈晦則周程張朱諸子大闡明之自是而後殆無所復事乎作者紀事之文自左傳遷史班漢書之後惟司馬通鑑歐陽五代史若朱子綱目則取諸春秋亦以寓道而非徒事也道無窮而事亦無窮故作者亦時有之若序論䇿義之屬皆經之餘而碑表銘誌傳狀之屬皆史之餘也二者分殊而體異蓋惟韓歐能兼之吾朱子則集其大成故雖未嘗極力於史之餘者而觀其所論議則可知已歴代以來忽於考據者多失之䟽略而不該於用淺於造詣者多失之支離汗漫而無所歸紛紛籍籍以就於澌盡泯㓕之地無怪乎其然也吾友篁墩程先生資稟靈異少時一目數行下英宗朝以竒童被薦入翰林觀中秘書用經學及第讀誦常至夜分遂能淹貫羣籍下上其論議訂疑伐舛厥功惟多及研究理道求古人為學之次第乆而益有所見而於朱子之說尤深考覈自以為得我師焉賾探隱索註釋經傳旁引曲證而才與力又足以達之雖皆出於經史之餘而宏博偉麗成一家言質諸今日殆絶無而僅有者也顧中遭忌嫉晚罹竒禍經濟之用不能盡白於世其所自見不過進講經幄及於儲宮校正綱目預修續編之類而已若全梓所刻巻帙所録家蔵而人誦自都邑以徧於天下貽之後世則雖巧詆深嫉亦惡能使之無傳哉功名富貴固士之所不道予獨慨先生年不及下壽雖所謂文亦未竟其所欲為者耳先生之文有篁墩諸稿共百有餘巻沒之七年為正德丙寅其門人輩摘而刻於徽州名曰篁墩文粹論者以為未盡其選越明年丁邜知府何君歆暨休寧知縣張九逵王鍇徴於其子錦衣千戶壎得全稿焉將並鋟諸梓以示來者而壎請序於予予與先生同舉京闈且同官甚久偉其為文悼其不大用以沒故為天下道而因以附吾私雲先生所輯有道一編心經附註詠史詩程氏宗譜貽範集篁墩録新安文獻志休寧縣志共百餘巻別行於世皇明文衡瀛賢奏對録宋逸民録又百餘巻蔵於家不在集中是歲三月旣望光祿大夫柱國少師太子太師吏部尚書華蓋殿大學士知制誥同知經筵事國史總裁長沙李東陽序
篁墩文集原序
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